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楽しきイランとその歴史


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イランと言う国を知っていますか?
一応ペルシャ人の国としての成り立ちを持っており、モンゴル帝国やオスマントルコに帝国に蹂躙されてもアイデンティティーを維持した人たちの国です。
日本の約4倍の国土を持ち石油が豊富な国です。
この国に入れるのはドイツ人と韓国人と日本人と中国人だけです。
国内の移動は確か100円か200円程度で飛行機が使用できました。
じゃバスは???市内バスは1円程度でしたかね。
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食べ物や水も首都テヘランに至っては大変豊富です。道は平城京のように都市計画に沿って作られた街です。東京のように行き当たりバッタリの計画性皆無の最悪の都市ではありません。
路上キオスクでフルーツジュースが飲めますがざくろジュースやメロンジュースは安くて美味しい!食べ物もハンバーガー(イランではハンバルゲ)スタンドで様々な食材を挟んで食べれます(パンはコッペパンだけど)。羊の脳みそもあるでよ!
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日本食も1店だけどあります。そこではキャビア寿司が食べれました。
唯一の不便は中々ホテルに泊めてくれない事です(笑)宗教警察などが存在するイランでは外国人=スパイ・・・・・的な考えがあるようで、外国人を宿泊させる場合はイチイチ警察署に書類を提出しなくてはいけません。これがメンドくさいようで、泊めてくれないのです。
私は夜にテヘランに着いたのですが、何軒も断られてエライ目にあいました。
詩人の名前の広場で仕方ないから野宿しようとしたら、ちょうど浮浪者を取り締まっていた警察に捕まってしまいました。そして訳を話したら仕方ないな・・・・という感じで護送車でホテル探しをしてくれました。最初のホテルは既に断られたホテルでした・・・・
2軒目は旧ヒルトンホテル(アメリカ資本は全て撤退)。そして3軒目・・・・イランの警察官も次は決めてやる・・・・と言ってくれ連れて行かれたのは20階建ての旧ホリディインでした。
豪奢なホテルを見上げて僕は思いました「こりゃダメだ」。
でも交渉して一回断られましたが、粘った結果エアコンが壊れた部屋でいいのなら・・・
と言う事でOKが出ました。確か部屋は15階だった気がします。
いい風が入ってエアコンは必要ありませんでした。
こんないい部屋でも400円ぐらいだったのかな・・・・・

何故こんなに安いのか?
それはイランは当時(今はどうなんでしょ)闇両替が盛んで公定レートの20倍以上で取引されており、外国人にとって天国のような国でした。

まだ街中はイランイラク戦争(イライラ戦争と言われてました)の名残が残っており、爆撃の後とかありました。

※2,3枚目は時間がないために写真からスキャンしたため画像が鮮明でありません。
ご勘弁!

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1月  中東でアメリカの支援を受けていた国は少なく、その一つであったパーレビ王朝が宗教界の反発により革命により倒されてしまいました。

2月 パリに亡命中の宗教指導者ホメイニ師が帰国、革命政府を樹立。
若い方は馴染みがないかもしれませんが10年以上前のハリウッド映画ではホメイニ師はよく悪魔的なキャラクターでこき下ろされていました。有名なおバカ映画「裸の銃を持つ男」の冒頭でレスリー・ニールセンにぶっ倒されています。

11月  テヘラン米大使館占拠・人質事件 発生
イラン革命で国外脱出したパーレビ元国王一家らを米国が受け入れたことに対して学生らが、テヘランの米大使館を占拠、米外交官ら52人を人質に、元国王の身柄引き渡しを要求した。当時のカーター米政権は80年4月、人質救出を試みたが輸送機とヘリコプターが衝突、8人が死亡し失敗した(この撃退記念切手というのも持っていたのに・・・・)。
同年7 月には元国王が死去。事件が対イラク戦争遂行に障害になると考えたイランは81年1月、アルジェリアを仲介に人質返還で米国と合意し、人質は444日目に解放された。 この事件でアメリカはイランと断交。

1980 イラン・イラク戦争発生。
イラクはアメリカからの支援を受けて戦争を起こします。
名目的にはイラン国内のスンニ派を救援するため・・・・実際は海が欲しかったんですね。
ここで面白いのはイラクを支援した国はアメリカ、ソ連(!)、クウェート、アラブ諸国。
更に面白くなるのは何とイランを支援したのはイスラエルだったのです。
正に「敵の敵は味方」。アラブの敵だったイスラエルが味方になったのです。
他にイスラム重視政策を採ったシリアとリビアがイランに味方しました。
我々はイスラムと言うと一緒くた・十把一絡げにしてしまいますが、微妙に違うんですね。
スンニ派、シーア派、アラブ系、トルコ系、ペルシャ系、民主イスラム、王朝イスラム・・・・・
お酒も飲める国・禁止している国、色々あります。

イスラエルはイラク国内を空爆したり積極的な軍事行動でイランを支援したためイラクは二方面に兵力を割かねばならなくなりました。
かくして戦争は膠着状態に陥りモビルスーツが登場する事もなく、88年に国連の仲介で停戦しました。

後はイラクのクェート侵攻から湾岸戦争に続き、このエリアが大きく報道されるようになりご存知と思います。

いま悪の枢軸と名指しされ微妙な立場にありますが、最悪の事態にならない事を祈るだけです。

追記:先日中村征夫氏が「僕の友人で優秀な戦場カメラマンは戦争の匂いを前もって嗅ぎつけて取材している」と語っていました。
自分の命を種銭にしてでも戦場を撮りたいと言っているカメラマンが多くいますが、早くイランに行って平和な光景を収めてきて下さい。今がチャンスです!
何といってもイランにはアメリカ人とかは未だに入国できませんからね。
そしてイランとはどういう国か・・・・多くの人に知らしめる。
そうした草の根レベルでの外交というのも大事だと思います。
お互いを知る・・・・そういった些細な事にでも写真が役立てばいいのでは・・・と思います。

10年ぐらい前のキヤノンの広告コピーで「写真に何ができるか」というのがありました。
名コピーですね。でもその役は僕の役ではありません。
写真で・・・・それも報道関係で喰っていこうと覚悟している人達よ!
頑張ってくれ(笑)
by aricom | 2006-09-08 07:48 | MiddleEast

毎日が(精神)修行です・・・・早く人間になりたいw


by アーリー
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