庚申の申は猿のことなので、それが猿田彦と結びつき道案内の神ともなったと言われています。
戦国時代に流行したのが庚申講(庚申待ち)。
人間の体内にいるという三尸虫という虫が、庚申の日の夜に]寝ている間に天帝にその人間の悪事を報告しに行くとされていることから、それを避けるためとして庚申の日の夜は夜通し眠らないで天帝や猿田彦や青面金剛を祀り、勤行をしたり宴会をしたりする風習があったそうです。
実際に織田信長が重臣たちと、そういう夜を過ごしたという記録もあります。
神道の猿田彦神とも結びついているが、これは「猿」の字が「庚申」の「申」に通じたことと、猿田彦が塞の神とも同一視され、これを「幸神」と書いて「こうしん」とも読み得たことが原因になっているそうです。
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