タイ語の読み書きも可能だし、そこまで「愛していた」と言える。
初めて訪れた1991年2月23日もクーデターが起きた日だった。
そもそもタイは戦後(太平洋戦争では外交で勝者になった)から2,3年おきに無血クーデターを起こすしょうもない国だった(爆)
1988年8月より初の民選首相としてプレム首相の後を継いでいたチャチャイ首相も金に汚い汚職まみれの男で政権に不満を持つタイ軍部のクーデターは国民から歓迎された。
次の選挙までをサハ・ユニオン社会長、タイ工業連盟会長を務めたアナン・パンヤーラチュン(1932年生まれ)を首班とする暫定内閣が取り仕切った。
このアナン首相はかなりのやり手で、タイ国民にも好評だった。
1932年の革命で絶対王制から憲政になって以来最良の内閣とまで言われた事により、軍部への評価も高くなった。
ただ私はアナン内閣の最大の失敗は車の価格を安くした事だと思う。
1992年3月22日に行われた。総選挙第1党の新党サマキータム(正義団結)党・ナロン党首が、与党4党の推薦で首相指名されるが、ナロン党首の麻薬密売容疑で米国が援助打ち切りを示唆して強く抗議。
4月7日スチンダー陸軍司令官が何故か新たに首相に任命される。
この人、議員でも何でもないのにね。
ここから国民が強い反発し、1992年4月下旬から大規模な反スチンダー運動に発展。ついには軍・警察が集会参加者に対し一斉に発砲。
1992年5月流血事件を引き起こしてしまったのです。
そして再びアナン暫定内閣が登場。
アナン首相は流血事件後も軍のトップに居残っていた連中を片付け、軍部の牙抜きに成功。
こうして再び総選挙が行われてそれなりに安定した時期を送っていたのに、タクシン以降は乱れに乱れています。
タクシンが農村にも目を向けたのは素晴らしい事ですが、中身は自分は安全な所から人をけしかけているゲス野郎です。
まあタクシン一家もかなり面白い面々が多く笑えます。
特に奥さんが本当に笑えますが、書き疲れたのでバイチャ!
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